好きという感情



「好き」という感情

 

※ドリームの映画のネタバレを含みます。

 



 

 

 

2022127

公開日から一日遅れでドリムの映画を観てきました。

正直、ドリムの映画が作られるとはじめて聞いた時、素直に喜べなくて。produceシリーズで植え付けられた御涙頂戴編集(最悪)への恐怖心がわたしを襲いました。ほんとに最悪。

彼らの軌跡を辿れば、そりゃあ、映画にもしたくなるだろ!この世の奇跡!と思ったけど、なんか、いざ映画にされるとなると不安でした、まあどうせ泣くんだろうと思いましたが

努力や苦悩は、何かを成し遂げた時にしか輝かなくて、結果が出なかった時の努力や苦悩を第三者が美談にしようとしたり、無理に輝かせようとすることは、ちょっと、かなり惨いことだと思う。

ドリムには「7人での初めてのドリショを成功させた」という輝かしい結果があるけれど、それでも第三者によって編集されたその過程を観るのには少し抵抗がありました。

 

 

 

 

そんな葛藤もあり、いざ当日。

一緒に行った友人と緊張しながらも着席し、ドキドキしながら開けた特典トレカはチョンジという神引き。大手ケミを引きがちなわたしたち。(尚、本命のマクドンは引けない。無念。)

 


↑画質悪すぎない?チョンジはこの画質でも可愛いが。(そうですか)

 

本当に緊張してて(分かったよ)絶対に泣くと分かっていたので、自分の心が大きく動かされるのってすごく疲れるから、どうなるんだろうって不安になりながら映画は始まりました。

 

 

 

 

流れとかはあんまり覚えてないので、印象に残った部分をピックアップして書きます。

 

 

 

 

まず、とにかく音がデケェ。(BESTIAで見たので)半分ライビュみたいなものだったからまだ許せましたが、普通の映画だったらマジで耐えられなかったと思う。

 

誰か教えてよ‼️‼️こんなに音デカいの⁉️⁉️と思いましたが、慣れとは怖いもので、そのうち慣れて気にならなくなったけど。

 

avexの音(avexの音)がデカすぎてほんとに、あんなにデカい音量でavexの音聞くことあるの?

人生の中で?びっくりだよ。


 

 

映画の構成なんだけど、アイドルのドキュメンタリー映画なのに、御涙頂戴編集がされていなくて、そこにまず感動してしまいました。

え、すご、みたいな。(小並感)

端的に言ってしまえば、ドリショを詳しく振り返ってみよう!🎶メンバーのオフショット付き🎶みたいな感じだった、マジで。

彼らのデビューからの軌跡を辿るものでもなく、ただ、ドリショ2がどのようにして作り上げられたか、そこに込められたメンバーの想いと、その姿はどのようなものだったかに焦点を当てていて、ドキュメンタリーっぽかった(?)のは、メンバー同士がそれぞれの印象を言い合う部分ぐらいだった。

そもそも、それを見せる映画だって公式サイトにも書いてあるので、そりゃあそう、という感じなのだが、どこまで掘り下げられるんだろうってドキドキしてたので、「今の彼ら」に焦点を当てるものだったのが良かったなあと思いました。




 

​──────以下、暗い話です。​──────

 

 

 

 

そして、突然暗い話になるのですが、最近眠れないことがすごく多いんです。

ベッドにぼうっと沈んでいると、永遠に夜が明けないのではないかと、夜が明けるとしても、明けるまで、わたしは耐えられないんじゃないかと不安になることがあって。まあ冷静に考えれば夜が明けない訳がないんですけど、そういう時ってあるよね。

 

この数ヶ月、本当にいろいろなことがあって、うつ病になったし、仕事も辞めたし、また働き始めたけど、体力がなくなったから前と同じように働くことは出来なくて、それがすごくもどかしくて、はじめて、本当の意味で挫折したのだと振り返ってみて思います。

ほんの数ヶ月前のことだけど、すごく前の出来事のように思える。

 

生きる理由、は元々ないのですが、それでも生きる上での目標とか目的はあったので何とか進んでこれたけど、それすらも崩れそうになっているのははじめてのことで。

ほとんどの人が通っているレールから外れたところに、わたしの目標(フリーターから正社員になること)があるから、自分の意思だけでその目標を追い続けなくちゃいけないのが難しいところだなと思います。ただでさえ自分を肯定するのが苦手だから、こうして不安定になっているのだろうなと思う。

 

それに、「自分の人生を生きたい」と強く思っていて

アイドルに会うことが生き甲斐だと思っていたんだけど、それは他人軸の生き甲斐であって、決して自分軸ではないんだよなあと思い始めたのがきっかけで、より強く、そう思うようになりました。(アイドルに会うことが生き甲斐なのがダメ、という話ではなく、自分がそれを生き甲斐にすることに対して疑問を抱いただけですので、その生き甲斐自体を否定している訳ではありません。よろしく。)

 

 

それも相まって、最近すごく不安定で、どうして生きているんだろう、とか、はやく死にたいのにな、とか、そんなことばかりを考えてた。

だから、チソンが「自分が生まれた理由をよく考える」と言った時、すごくびっくりしたの。え、わたしじゃん、みたいな。(第nct回烏滸がましいゎよ、アンタ。世界選手権エントリーNo.227 no選手)


わたしが好きな彼も同じことを考えたり、思い悩んだりするのだと思うと、少し心が救われました。

あと、チソンは「僕が生きる理由は"他の誰かの生きる理由になるため"」(ニュアンス)と言っていて、そこでまた、わたしが彼らを好きで、彼らに会うことを生きる理由にすることがチソンの生きる理由にもなるのだと、すごく衝撃を受けた。

びっくりしたの、他人軸でも良いんだって、はじめて思えた。

そして、それがタイムリーすぎる話題だったため身体の水分が全て出るんじゃないかと思うぐらい泣いてしまいました。(いつもね)

自分軸で生きるのも良いかもしれないけど、相手のことを想って、それを生き甲斐に出来ることも、また違ったベクトルだけど、すごく幸せなことなんだなあと思って、すごくうれしかった。

今は苦しいから、そこから抜け出すまでは、ドリムに会うことを生きる理由としても良いかな。

自分軸の生きる理由が見つかったら、「ドリムに会うこと」の隣に書き加えたいと思います。生きる理由はいくつあったっていいので。


いつだってドリムが、チソンがわたしたちに大切なことを教えてくれますね。



 

 

もう1つ印象に残っているコメントが、ロンジュンの「時々、自分が誰で、何が好きなのかを忘れてしまう。その時、すごくつらく思う。」(ニュアンス)です。これまた、わたし?となりました。(第nct回烏滸がましい -以下、割愛-

まさに今その状態で、このロンジュンのコメントを聞くまで、将来の不安に飲まれて、自分が何が好きで、誰なのかを見失っていたような気がします。

 

その答えとして、「何が好きで、自分で誰かを理解しているともっと楽しく、自分らしく生きられるような気がする。」(ニュアンス)とロンジュンが言っていて、わたしも、こうなりたいなと純粋に思った。

どれだけ不安になったとしても、自分が好きなものはブレないし、わたしが何者かもブレないと思うから、自信を持つことはすごく難しいけど、自分が何を好きか、だけでも胸を張って言える自分でありたい。

そして、わたしが胸を張って好きだと言えるのが、アイドルで、NCTで、ドリームなのだと思うと、それが特別で、誇らしいと思える。

 

 

 

 

そんなこんなで映画が終わった訳なのですが(飛ばしすぎ)、一通り見た上で思ったのはやっぱり「ドリームは奇跡」ということ。

わたしが彼らに対して、ここまで大きな感情を抱いているのは、前も話したけど、一緒に成長してきた感覚があるのもそうだし、出会った時期など含めた全てのタイミングが良かったのだろうと思う。だから、ここまで応援しようと思えたというか、また烏滸がましいのだけど、わたしと彼らには似ている部分があって、そこにすごく惹かれているのだなと今回の映画を観て思いました。

 

あと、メンバー同士のお互いの印象を聞くことって今までになかった気がして、すごく興味深かったんだけど、またドリムについて深く知ることが出来たし、彼らへの解釈が深まった気がして、さらに沼に沈んでゆきました。(報告)

 

マークへの印象で、ジェミンが「マクヒョンが倒れたら、ドリームも倒れる」と言っていたこと、チソンが「(マクヒョンは)ぼくのロールモデルみたいな人。」と言っていたこと、他のメンバーのコメントは事細かに覚えられてない(本当にごめんなさい)んだけど、6人のマークへの印象を聞いて、今までの全て(特にマークが卒業した後のドリショ)が繋がったような気がしました。

 

正直、2019年のドリショでチソンが泣き崩れてしまったのを見た時、何がこの子をそうさせたのか、腑に落ちない部分があって。

それでも8割は腑に落ちていたんだけど、やっぱりどこか不思議な感じがして。

あのヘチャン(どのヘチャン?)でさえ、「こんな日にはマクヒョンに会いたい」と言っていたのだから、ドリムにとってマークがどれほど大きな存在だったかは、当時も理解しているつもりだった。

でも、映画を観て、そりゃあ、ロールモデルで、グループの柱で、長男で、リーダーで、みんなに慕われていたマークが卒業してしまうなんて、前から知っていたことだとしても、目の前が真っ暗になるよなあと思った。そりゃあ泣くわ、と。

 

わたしには計り知れないことだけど、きっと残された6人はすごく不安だったんじゃないかなと思う。

ことある事に「皆さんのおかげで」7人でドリショをすることが出来た、と繰り返していたのは、そういう理由だったのではないかなと腑に落ちた。

 

 

 

 

ドリショに行って、映画を観て、いちばんに思うのはやっぱり、わたしたちファン以上に、彼らが「7人であること」にこだわりを持っていることと、「7人であること」が何か他の目標を達成するための「過程」ではなくて、その「目標」そのものであることが、何よりも嬉しいなと思う。

どうしても、「過程」にあると蔑ろにされてしまうこともあると思うので。彼らが蔑ろにするとも思ってないけれど!

 

「好き」という気持ちは、どう足掻いても一方的なもので、向かい合っているから相互的に見えるだけなのだとずっと思っていたし、今もそうだと思う。

だから、ドリムとわたしたちファンが向かい合って、お互いがお互いを大切に想いあっている、その事実が特別で、愛おしいと思います。

 

 

 

こんなにも愛おしいと、誰かを愛して、応援する気持ちを教えてくれて本当にありがとう。

生きる理由になってくれてありがとう。

ドリムがドリムとしてあること、わたしがドリムに出会えたこと、ドリムと出会ってからわたしが感じられた感情、その全てがキラキラ光っていて、いつだってわたしを照らしてくれています。



ドリムが歩む道に少しでも多くの幸せが降りますように。